タイムマシーン、なう!

あの頃が忘れられないって言うのにも飽きた。この際だからめっちゃ懐古しよーっと!!!!

関ジュと関ジュ担とコール&レスポンス

 

じゅんじゅんにーー??

 

 

「「キュンキュン」」

 

 

これは言わずと知れた、中間淳太くんのコール&レスポンス。2009年の夏の松竹座公演「Tough Weeds」の期間中に誕生した。

 

 

手をグーにして、頭にくっつける「キュンキュンポーズ」とともに広まって、今でも中間担はじゅんじゅんにキュンキュン♡をよく言う。

恥ずかしいねん、と言いつつ結構みんなこのコール&レスポンスは好きだと思う。

 

 

当時、関ジュ内でブームになっていたコール&レスポンス。

 

ラジオやMCの会話の中で生まれたり、持ちギャグだったり、楽屋ネタの延長だったり、ファンと考えたりとキッカケは人それぞれ。

 

 

じゅんじゅんにキュンキュンが生まれた日の事は今も覚えてる。関ジュ各々のいろんな背景があって、そこも含めてこのコール&レスポンス文化が好きだった。

 

 

 

 

自担を除いて、私が特に好きだったのはこの3つ。

 

 

 

とにかく盛り上がる照史の

 

熱いビート

「「ちょうだーい!!!」」

 

 

大阪・ミナミの夜が似合う薫太(当時DK)の

 

いらっしゃいませ

「「薫太さま〜♡」」

 

 

存在が宇宙人なミステリアスマーシー

 

おはぎは世界を

「「救うー!」」

 

 

思い返してもマーシー(またの名をグッバイいとう)意味わからん(笑)そんなところが大好きだよ!マーシー!!

 

ぜんっぜん関係ないけど、一時期流行った任天堂DSのトモダチコレクションで、私の作ったマーシーの大好物が食パンっていう奇跡起こってマーシーの不思議な力を感じた。宇宙服着せて惑星コンセプトの部屋にして、おはぎは世界を救うって言わせて。久しぶりにやりたいなーートモコレ。じゅんじゅんにアタックしまくったけど結局薫太と結婚した。懐かしい。久しぶりにやろ。まずは本体探そ。

 

 

 

 

話が脱線したから戻します。

 

 

 

コールする人とレスポンスする人がいて成立するものだから今だって現場に行かないとやれないし「当時」ってつけんでも…と思うけど。

そもそも言葉が合ってるかも分からないけど。

 

当時の コール&レスポンスは完全に「現場の文化」だったと思う。

 

 

まいジャニも定期的なウェブ連載も無く、ツイッターのレポで一気に全国の関ジュ担に広まる事もなかった。

今みたいに、公演後すぐにその日あった事を不特定多数の人と共有する感覚も、そもそも拡散力の高いツール自体無くて「現場」の意味も、少し違っていたような気がする。

 

 

 

個人のコール&レスポンス以外に、関ジュの定番ブチ上げ曲「ロマンティック」にも一見さんお断り系のコール&レスポンスがある。

 

 

 

恋してるかい?「もーちろん君に!」

 

恋してるかい?「あーなただけに!」

 

恋してるかい?「君がすべてさー!」

 

思いっきり愛してるかーい!!!!!!!!

 

 

はい!!最高!!!!ロマンティックサイコー!!!!!!テンション上がるーー!!!

 

 

関ジュ曲なので、もちろんCD化されてる訳でもなければ、松竹座には歌詞を映してくれるスクリーンなんて無い。

 

関ジュもマイクでハッキリとこのパートを一緒に歌ってくれない。この「」は完全に関ジュ担に委ねられている。

 

松竹座で初めてロマンティックを聴いた時、まじでびっくりした。

 

皆なんかめっちゃ歌ってるけど、松竹通いの関ジュ担の控えめな声量じゃ歌詞がまったく聴き取れねぇ!!!!!!!

でもめっちゃ楽しそう!!!!!

 

 

家に帰って速攻でグーグル先生で検索した。

 

クルーズブログかなんかの関ジュ担パイセンによる関ジュ曲の歌詞ブログを見つけて、次の公演までにめっちゃ暗記してめっちゃ練習した。

 

 

当時の同じく関ジュ初心者の相方と、電話越しでロマンティックのコール&レスポンスを何回も繰り返し歌いまくったのは良い思い出。

 

 

 

次に入った公演で、自担を指差しながら「もーちろん君に!」が出来た時すっごい嬉しかった。

 

 

関ジュと関ジュ担の一体感の輪に入れて、ますますハマった。

 

自担が好き!!以外にも、こうやって現場の楽しさとか独特の雰囲気とかにどんどん飲み込まれて、好きになってハマっていく感覚も、関ジュ担になってから初めて知った。

 

 

 

もし、当時も今ぐらいツイッターが盛んだったら色々と状況は変わってたんだろうなぁとか思う。

 

 

 

関ジュ担の私からしたら、松竹座の関西ジャニーズJr.と、東京で活躍するジャニーズJr.やジャニーズ事務所の先輩たちは別世界の人みたいに感じてた。

 

 

「関西ジャニーズJr.」っていう存在を知ってもらう事自体、簡単な事じゃなかったし、個人の事を知ってもらうには、さらに大きな壁があったと思う。

 

 

 

そんな中でのコール&レスポンス文化の誕生は、めっちゃ画期的だと思った。

 

会場を盛り上げるという意味のファンサービスだけではなく、

 

各々の自分をアピールしたい!!売れたいんや!!!

 

っていう思いが感じられて、客席から彼らにレスポンスを返す度に胸が熱くなった。

 

もちろん全員が全員コール&レスポンスがあったわけじゃ無い。

全体のバランスとかを考えて、自分はいいかなって控えてた人もいたと思う。

それでも、客席と一緒になってレスポンスして全力で盛り上げてくれる関ジュがあったかくて好きだった。

  

 

そんな彼らが、なんで一年に一回しか少クラ出られないんだろう?って悔しかった。

いつだって関西ジャニーズJr.の何かが変わる瞬間を求めてた。

 

 

楽園だと思ってる松竹座が、実はめちゃくちゃ閉鎖的な世界だったのは分かってたし、そこから抜け出すにはどうしたらいいんだろうって考えてもなかなか答えは見つからなかった。

 

 

そんな事を考えてた時に、少クライン大阪で、彼らのコール&レスポンスが電波に乗って自宅のテレビで観れた時、ほんとに嬉しかったし何か道が拓けたような気がした。

 

松竹座の約1000人キャパの劇場で関ジュと関ジュ担が積み重ねてきたものが、ついに全国の人に届いた!!!って感動した。

 

 

もちろんホームの大阪だから出来たっていうのもあると思うけど、

NHKのカメラの前で自分のコールをする関ジュと、それ対して全力でレスポンスを返す関ジュ担の、

 

現状をぶっ壊して東京に殴り込もう!!!!

どや!!!!これが関ジュやで!!!!!

 

っていう意地と気合と愛が詰まってるあの独特の空気がめちゃくちゃ好きだった。

 

客席の私たちも、ステージの彼らと同じぐらいアツかったと思う。本当に関ジュ担もめっちゃギラギラしてた。いろんな意味で。

 

クサい上にすごい大袈裟なこと言うけど、コール&レスポンスは関ジュと関ジュ担の絆だったと思う。

 

あの頃、松竹座で青春を過ごした関ジュと関ジュ担の事を私は戦友だと思ってる。

 

泥くさい関係性が好きだった。貪欲な彼らが好きだった。 

 

 

初めて「キュンキュン」ポーズをした時のことや、あの当時一緒に戦ってた皆のこと、淳太くんは覚えてるかな?

 

 今も、あの当時のコール&レスポンスを耳にするたびに、そんな事を考えてあの頃を思い出す。

 

 

はじめに

初めまして。中間淳太担です!

 

誰も読まんやろー!と思いつつ、同じ気持ちの誰かがいたら嬉しいなと思ってはてなブログを始めました。

 

2008年頃から関西ジャニーズJr.にハマって、自担に出会って、まぁまぁな年月が経ちました。

 

大好きなB.A.D.の話とか、ジュニボの話とか、推されの後輩の脅威とか、起死回生のBBV結成とか、関ジュの崩壊とか、デビューとか。

 

色んなことがあった関ジュ時代を消化できないまま、あの時代の松竹座は最高に楽しかったとか、B.A.D.にまた会いたいとか、事あるごとに懐古してはデビューした以上振り返るのも申し訳ないよね、、とか言って。

 

このグダグダするくだり、デビューしてから100回やったから!ジャニーズWESTの初ドームの映像見て、関ジュコーナー見て、またスイッチ入るの目に見えてるし。

 

B.A.D.が好きなんでしょ?BOYSのステゴーが見たいんでしょ?7WEST見たらあの頃思い出してメラメラしちゃうんでしょ?ネクステもシルエットもいない人の顔が浮かぶし、なんでこのメドレーにベテおらんのってなって、また10人のビグゲの話になるんでしょ。

 

自分のパターンは自分がよく分かってる。これを何回も繰り返す。まじで何回も。

 

あーめんどくさいめんどくさい!

それなら気のすむまで懐古すればええじゃないか。

 

ええじゃないか!!!!!!!!

 

というわけで懐古、はっじまっるよー!!!!